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今回は僕がたまたま連絡番という役でした。
今回連絡番をして感じたのは、カヌーをする上で絶対に必要な存在であるが現地で何か起こっても札幌にいる以上ほとんど無力な存在でしかない、ということでした。
そもそも連絡番の役割には
“現地からの事故連絡を受ける”ことと、
“漕ぎに行ったグループ全体の無事(遭難かどうか)を確認すること”
がありますが、まず、いざ事故連絡を受けたところで現地メンバーに比べ出来ることは周知の通り圧倒的に少ないです。今回の場合「とりあえず全員上がったから」の一言で、あと連絡番にできることは無事を願うぐらいしか残されていませんでした。
他の在札部員にいたっては連絡があるまで事故が起こったことさえも知れないのです。(実は今回連絡を受けたとき事故とは認識していませんでした。これは今となっては反省しています。)
このことは、“現地メンバーに最大限の判断力が期待され責任の重みがおかれる”ということに置き換えることが出来ると思います。
それでも連絡番は現地と札幌の大切な通信経路であり、実際現地に行って楽しむわけでもないのに責任がおかれているわけです。
もし、現地メンバー(特にリーダー)がそのような連絡番の立場をしっかり認識せず計画を実行したならそのときの連絡番は「尻拭い」的でしょう。計画に対して拒否権をもたせるなど連絡番の立場を上げてもいいかもしれません。ただそれは連絡番に責任をもたせることでもあり、これ以上連絡番に責任を持たせるのもどうかとは思いますが。
また、連絡番はカヌーに行かない(行けない)人がするのがやはり自然だと思います。
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